HOME > 震災遺構

震災遺構とは?

陸前高田市では多くの建物が津波の被害を受けました。すでにその多くが取り壊されていますが、東日本大震災の爪痕を後世に語り継ぐため、市内4つの建物については今後「震災遺構」として保存することが決まっています。



陸前高田市立気仙中学校

 写真
▲陸前高田市立気仙中学校

気仙中学校校舎は気仙川河口付近にあり、昭和56年3月に竣工されました。津波襲来時には鉄筋コンクリート3階建てのうち3階まで浸水しましたが、校舎内にいた生徒たちは日ごろの訓練通りに避難し、1人も犠牲者を出しませんでした。このような背景もあり、防災教育上においても意義がある建物だと市に判断され、震災遺構として保存活用に向けて検討が進んでいます。



陸前高田ユースホステル

写真
▲陸前高田ユースホステル

陸前高田ユースホステルはかつて高田松原公園内で営業を行っていました。津波襲来により建物が崩壊するなど大きな被害を受けましたが、2011年1月より営業を休止していたため、人的災害はありませんでした。また、陸前高田ユースホステルは奇跡の一本松の海側に立地していたことから、この建物が緩衝材となって波の力を弱め、奇跡の一本松が残ったと言われています。



道の駅タピック45

 写真
▲道の駅タピック45

道の駅高田松原TAPIC45は、陸前高田市の国道45号上にある道の駅です。津波襲来により建物及び駐車場に甚大な被害を受けたため、現在は休館中です。震災前は高田松原物産館やレストラン、観光協会などが入っており、陸前高田市の観光拠点として市内外の皆様に活用されていました。



雇用促進住宅

 写真
▲雇用促進住宅

国道45号沿いにはもともと下宿定住促進住宅が2棟建設されていましたが、そのうち、海側の1号棟が保存活用されることになりました。同建物は雇用促進住宅として昭和55年2月に竣工され、平成21年度に独立行政法人雇用能力開発機構から購入されたものです。津波襲来時には鉄筋コンクリート造5階建ての4階部分まで浸水し、津波襲来の高さが一目でわかります。



▲ページトップに戻る